第16章 デビュー後
記者会見までして頂いてデビューを飾った後、「道」はNHKみんなの歌に起用され、
数々の児童年のイベントなどで各地に歌いに行きました。
まだ幼い時分の礼宮様もご覧になってくださり、
かわいい子供達とも随分握手などをさせていただいて、、
そんな中の申し訳ないエピソード。
サイン会をしていた時の事、一人の女の子が興奮して
「大ファンなんです。会えるなんて思ってもいなくて本当に嬉しいです。」
と握手を求めて来ました。
私も嬉しくて、新人の私に?と手を延ばしかけた所で
「遠くまで来てくださってありがとうございます。谷山さん」えっ?広谷ですけど、、、
何度言っても谷山浩子さんと間違えているらしく、、
握手をして良いのかサインをしてがっかりさせてしまっては悪いし、、と一瞬にして頭の中をいろんな思いが駆け抜けましたが、とりあえず ”道” 広谷順子と書きました。
後で人違いとわかった時の彼女の落胆を考えると
ホントごめんなさいでした。(笑)
そうこうしている内に、ゴダイゴさんが<Beautiful Name>と言う曲を児童年の歌と銘打って リリース!TV、ラジオはこぞってゴダイゴさんの曲をかけるようになり、気が付いたら「道」は何処へやら〜?、、、少しずつイベントの数も減って行き、私は本来のシンガーソングライターとしてのLive活動作曲活動に戻っていました。
当時、バンドのメンバーには業界逆さ言葉でジュンコの逆<コージュン>と
呼ばれていたのですが、「コージュンのバックをやると出世する!」などと言われたくらい、次々とメンバーは多忙になって羽ばたいて行きました。
それもそのはず 皆、今現在もトップミュージシャンとして活躍しているのですから、、
それだけ最初からとても技量のあるメンバーと出会えていたと言うことで、技量だけでなく愉快な仲間とのライブ活動はそれなりに十分幸せな場所でもありました。
それも長くミュージシャンライフを続けて来られた要因の一つかなと思います。
レコーディングでは歌えない洋楽のコピー曲なども心地よく演奏させてもらえ、特にバンマスだった鳥山雄司氏(鳥ちゃん)からは私の書いて来たおたまじゃくしだらけの譜面を、バンド用にコード譜に直してアレンジして頂いたり、ライブを通して随分音楽的にたくさんのことを教わったように思います。
そんな仲間を揃えてくださった当時のスタッフの目にも感謝の一言!
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