広谷順子
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第10章 中学生から高校生

中学生になると学芸大附属は高校受験に向けて猛烈に勉学に力を入れるようになります。
ところが私と言ったら大学生になった兄にくっついて洋楽を聴きまくり、今度は兄の早稲田大学のサークル、ナレオの影響でブラスロック<シカゴ>や<BST>にはまってしまいます。
家族でドライブなんて言う時は車に乗った途端にツートラックのカセットをカチャリと入れては景色も見ずにシカゴをかけっぱなし歌いっぱなし。
大学のバンドフェスのようなライブはいつも見に行っていました。
その中で上智大学のバンドがとても好きになって、そのサークルに入るために 「上智に入る!」と安易に心に決めていました。
そんな事から思考は受験校のカテゴリーから少しずつ外れて行き、 高校は望んで公立へ行かせてもらう事にしました。
この判断は自分で決めた事とは言え、大正解だったと思っています。
都立三鷹高校での3年間で人生を左右する一生の友に出会えたのですから。

〜〜高校生活〜〜
高校では放送委員会に所属。なぜ入ったのかは覚えていないのですが、昼休みの番組を作ったり下校の音楽を流しアナウンスをしたり、、
そんな事が小学校の給食の時間を思い出して楽しそうだったからかもしれないと 今にして思います。

とても狭い放送室に1年〜3年までの委員が集まる。
やはりどこか音楽好きな人が集まっていてギターを爪弾いたり物を書いたり自然とクリエイティブな人のたまり場となっていました。
その頃流行っていた同人誌のようなものに文を書いたり詩を書いたり挿絵を描いたり。
私もクリエイティブの仲間入りをほんの少し見よう見まねでしていたある日、たまたま詩を書き溜めたノートを忘れて帰ってしまったのです。
翌日放送室へ行くと間違えて持って帰った同級生のK子が、私の詩に「曲をつけて来たよ」と言うのです。 思いがけない事にビックリ!ギターを弾いて歌ってくれました。
Oh my God ! incredible !!!

< 淋しくて >(未発表曲)
淋しくて淋しくて眠れない夜は
あなたの優しい瞳を思い出す~

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