広谷順子
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第1章 生い立ち

1956年 昭和31年10月17日 東京、阿佐ヶ谷の病院にて生を受ける
父 誠夫 母 貞子 兄 祥夫

父と母は当時にしては進んでいた?と思われる恋愛結婚。
母にはお付き合いしていた方がいたらしいのですが その彼とのデートの帰り際に握手を求められ、その差し出された手がとても大きくてそれが気に入らなかったとかの理由で お別れ!(笑)もともと体格の大きい人は苦手だったようです。。
そして小柄の父とめでたくゴールインとなりました!

父の実家は宮内庁御用達の老舗和菓子屋さんだったそうです。 その屋号は「二尋屋」今はひっそりと鳥取の地に墓石だけが残っています。

お母さんを早くに亡くしていた父は心の優しい人格者でした。
その昔私に話してくれた忘れられない話。
当時は亡くなったお母さん(祖母)を棺に入れて深く冷たい雪の降る中を リヤカーで焼き場まで引いて行かなければならなかったのだそうです。
どんなに寒く寂しかった事でしょう、
とてつもなく切なく子供心に悲しさと責任感を感じました。

そしてその後、祖父が亡くなります。
初めての親族との別れもまだ実感が持てずその場の雰囲気で悲しんでいたように思いますが、2月の寒空の火葬場で皆で火鉢を囲んで待っていると、凍てつく晴天だった空から突然 ハラハラと雪が舞い降りて来たのです。
その時、父が雪見障子を開けて「お母さんが迎えに来た….」とつぶやきました。
私は父から聞いていたあの雪の日のリヤカーの会ったこともない祖母の事が思い出されて なんとも言えない気持ちを抱きました。これが血縁というものなのでしょうか、、
そして兄はといえば、ひたすら火葬場の番人が映画「ノートルダムの背虫男」みたいで 怖いぞと耳打ちをしていました。。。(笑)
その夜集会場にあったピアノで兄が奏でた「月光の曲」はひっそりと悲しみを誘い 美しいメロディがこんなにも人の心を動かすのかという事を知った夜でした。

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