広谷順子
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第25章 婚期

一人暮らしにも慣れて今度は世田谷代田へお引越しした頃、そんな私にもバラ色の 婚期と言うものが訪れました。
父の具合が悪くなって親戚からの
「お父さんの目の黒いうちに花嫁姿を見せてあげなきゃダメだよ」と言う声や
占い好きの母の
「もうすでにそのお相手と出会っているはずだから周りを良く見てごらんなさい」と言う言葉に、私もほんの少しその事に目を向けるようになりました。
気がつけば周りは才能溢れる楽しくてカッコイイ音楽家ばかりだったのですねぇ。
でもキョロキョロした時期はそう長くはありませんでした。

灯台下暗し。その頃ほとんどの時間を共に過ごす事の多かったコーラス仲間で作曲家の 木戸やすひろが隣にいたのです。あまりに近くにまるで家族のような空気感を醸し出していたので それまで気づかなかったのですね。

ある日、いつものように仮歌のお仕事をしていました。
するとその切ないバラードに自然と涙がこぼれ落ちてきて、こんな素敵な優しい曲、 誰が書いたのだろうと尋ねてみると、なんと木戸やすひろ。
え〜?こんないい曲を書く人ならやはりきっといい人に違いない。胸がキュンとしました。 そしていつも会っているのに無性に会いたくなったのです。
スタジオの待ち時間に同じく待ちのミュージシャン、スタッフと対戦出来るように 2台のゲームボーイを持ち歩いていた私。 それからはゲームボーイが木戸とつながるLINEでした。

そしてめでたく(ゴールインするまで何の障害もなかった訳ではないですが)結婚に至り、 晴れて原宿の中央教会にて長いヴァージンロードを父と共にゆっくりゆっくり 歩く事が出来ました。

あの時の父の腕の感覚、歩く事も難しくなりつつあった父との「いっちに!いっちに!」と 足並み揃えて祭壇へ向かった時間、今でも思い出すと心が締め付けられます。
そして翌日の結婚披露パーティ!
Studio Musician、スタッフ、友人、お世話になった方々など総勢200人。
ライブありスピーチありと賑やかに盛大に、この日のスタジオワークはミュージシャンが全く捕まらなくてストップしたと言われました(笑)
そして最愛の父はその翌年、天に召されました。67歳でした。早すぎです……

祖父が亡くなった時、晴れた空から突然雪がハラハラと舞い降りて
「お母さんが迎えに来た」とつぶやいた父。
その父のなくなる2日ほど前の2月の寒い日。 私は心の中でいつの間にか”雪よ降るな!降るな!”と念じていました。
ところが「あら、雪。。」
母の言葉に父は「ベッドを起こして欲しい」と、、、
「あ〜降っちゃダメ〜!」心の中で叫びながらも父の身体を起こしてあげました。
父もきっとお母さんのお迎えが来たんだと感じていたんだと思います。 いろんな思いを胸に窓の外を眺めながら声になったのはただただ、、 「綺麗だね。。」、、

「おばあちゃん、まだ父を連れて行かないで、、」その願いもむなしく、、
祖父母を早くに亡くした私にとって、肉親との本当の別れは父が初めてだったので、わかってはいたけれどこんな悲しい事が起こるのか、 目の前からあの優しい眼差しと笑顔が消えてしまうのか、、人生観が変わりました。
しかし、やっと大人になれたのかもしれないとも、、

インペクとは

ミュージシャンのスケジュールを組んだり色々とお世話してくれるマネージャーのような人のこと

仮歌とは

仕事で忙しいアーティストに変わってリズム隊のレコーディングのために歌ってあげる。
いずれは消えてしまう儚いヴォーカル。

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